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惇操について本気出して考えてみた(@ポルノ)




夏侯惇に対する曹操の信頼と評価(寵愛とも書かれていたり)は抜群で、親愛と尊重の情をもって遇されてたり出かけるときは同じ車に同乗させ(あ、これは張遼もらしい)、寝室への自由な出入りも許された(ここ重要!元譲先生!)縁続きとはいえ、数多くの寵臣がいた中でも、これほどの扱いを受けていたのは彼一人だったってほんと不思議ー。功績から言って淵ぽいけどなぁ(でも淵あんま突っ込み過ぎんなよとか怒られてたっけ、殿に)

夏侯惇だけ漢朝の官職だったので「不臣の礼をお受けするには相当いたしませぬ」と言ったけれども曹操は「吾が聞くには、臣下を師とするのが最善、臣下を友とするのが次善であるという。そもそも臣下とは、徳のある者を貴ぶ人のことである。せせこましい魏は、臣下にとって屈服するに相応しい主君であろうか?」と言ったらしいんだけど(殿に口でかなうわけないよね・・・)渋る曹操に無理に願い出て、前将軍に任命してもらい、臣下の礼をとったらしい惇。

漢の官職上では確かこの二人って同列でしたっけ?それでも惇は魏の臣下でいたいってことはやっぱり漢ではなく曹操の臣下でいたかったのかなぁ。ただの謙虚だなんて言葉でまとめたくないもんですよねー。

私の知識が浅いことは別として、惇と殿以外に寝室フリーパスだの不臣の礼だのそういったことを聞かないのでわざわざ(婉曲的に、いや、婉曲的かな???)書いてあるってことはやっぱこーそのー疑っちゃいますよね(邪推過ぎるわけでも無さそうな・・・)

だとすると、寵愛っていうくらいだから操惇が考えられるわけですがちょっと待てよと、あれだけ女好きの殿が(女好きって言ったらなんか下品だな。女性好きとでも言ったらいいんだろうか)そっちのご趣味があったら美童なんてほいほい手に入れられたであろう殿が、わざわざマッチョの(将軍なんだから筋肉質ではあったはず。土嚢だって運んじゃうし)髭男なんて抱くかなぁ、と。(殿より長身だろうし体重あるだろうから抱くの大変そうだし)

まぁそういうのがタイプって言われたら終わりなんですけれども。やっぱりこう孤独な殿を母のごとき包容力と愛で雄雄しく惇には抱いていただきたいもので。惇が上になることで殿が弱さを見せることが出来るというか、甘えられるというか。宦官の家出身なんで本来は唾棄すべき感情と欲望なんだけど惇にはそれを見せることが出来るっていう・・・。自分の身体に殿は大きなコンプレックスを持ってると思うんですよ。それ故に関羽とか偉丈夫に憧れちゃうんじゃないのかなぁと。で、惇も隻眼ってコンプレックス持ってるから関羽に心を傾けちゃう殿にいらいらしたり関羽を憎んだりするんだろうね!

あとやっぱり二人の死の運命というか殿の後を追うように亡くなった惇がね、やっぱり二人は二人で一人なんだと。ベルバラだとアンドレの方が先に死んじゃうんだけれども、惇が先に死ななかったのは殿が淋しがらない為かすぐに亡くなってのはこれまた殿が淋しがらない為かと色々思ってみたり・・・。

二人の死の際考えるとまた深みにはまりそうです。

操惇の方のご意見も聞いてみたいところです。どっちが受攻云々は置いといて、やっぱ二人は魂の絆で結ばれているんですよね!と誰かと語り合いたい。



わぁタイトルも長けりゃ文も長いなぁ。うざくてすみません。今後気をつけます。しかしこれだけ語ってもまだ語りたいことがあるっていう・・・惇操って凄いな。

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